約2000有余年前、国の政務や祭祀を司る国造がこの秩父に置かれたのは、武蔵国に約一世紀先立つ崇神天皇の時代であったことがうかがわれます。古代では秩父を「知知夫」と呼んでいました。平安時代中期以降は武士団が形成されるようになり、その信仰を強く受けて神仏習合時代を迎え、妙見社が登場するに至った。天慶年間、平良文が染谷川の合戦において妙見菩薩の加護を得て将門の軍勢を撃ち破り、以来、良文は妙見菩薩を厚く信仰しました。嘉禎元年九月、落雷によって炎上した秩父神社社殿を再建するにあたって、妙見菩薩を良文の孫将常が秩父氏初代として合祀奉斎したと、正和二年の秩父妙見宮造営次第に伝えられております。永禄十二年、甲斐国から秩父に攻め入った武田信玄は、郡内の有力社寺に次々と火を放ち焼き払った。これがいわゆる信玄焼きである。当社もこの戦火を被ることになったが、天正七年、後北条氏の北武蔵の支城城主北条氏邦が再建に着手しました。その後、鉢形城落城のため天正十九年には徳川家康から社領五十石を増加され本殿などが造営されました。
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(-∧-)合掌・・・多くの人に幸せが訪れますように。。。

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